2016年4月1日に施行となる「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法)。障害者や諸団体の期待が高く、非常に注目されている法律だ。旅行というシーンでは、現状でも障害を有する方が健常者と同じツアーへの参加を希望するケースが多く、旅行会社の店頭やツアー中にその要望が聞かれる機会がますます増えることが予想される。
ツーリズムEXPOジャパン2015で開催された「障害者差別解消法セミナー」では、観光庁観光産業課課長補佐の谷口和寛氏が登壇。弁護士でもあり、同法の旅行業分野に関する対応指針の作成に携わった谷口氏は、「この法律は実務上かなり大きな影響を持つと思う」と述べ、経営者のみならず、支店や現場レベルまでの幅広い理解と丁寧な対応を呼びかけた。セミナーで説明された、旅行会社が知っておくべき同法の概要と対応指針(案)のポイントをまとめた。
そもそも「障害者差別解消法」とは
概要の前に、なぜ同法が制定されたかに触れておきたい。発端は2006年、国連で障害に基づく差別の禁止に関する「障害者の権利に関する条約(権利条約)」が採択されたこと。日本は翌年、この条約に署名し、2014年1月に批准した。つまり、国内の動向だけではなく、世界の流れを汲んだ法律といえるだろう。
では、どのような法律なのか。谷口氏は一言でいうならば、「障害者差別をしないという、当たり前のことを正面から規定した法律」と説明。全省庁が所管する行政機関、地方公共団体、事業者(営利・非営利、個人・法人含む)を対象にしたもので、主な規定事項として以下の4点を挙げる。
- 障害を理由とする不当な差別的取扱いを禁止
- 障害者に対する合理的な配慮を義務付け(※民間事業者は努力義務であり、法的に強制されるものではない)
- 差別の解消を推進するため、政府が全体の方針を示す「基本方針」を作成
- 事業者が上記1、2に適切に対応できるよう、全省の主務大臣がその具体例などを示す「対応指針」(ガイドライン)を作成
ここでいう「障害者」とは、障害者手帳の有無に関わらず心身の機能に障害があり、日常・社会生活に相当な制限を受ける状態にある人が対象。「不当な差別的取扱い」とは、正当な理由なく障害を理由に財・サービス、各種機会の提供を拒否したり、制限するなど、障害者の権利利益を侵害すること。これらの具体例は、後述する対応指針(ガイドライン)に掲載されている。
また「合理的配慮」とは、障害者から社会的障壁の除去を必要とする意思表明があったときに行なわれる取り組みのことで、実施に伴う負担が過重でないものをいう。具体的には段差への携帯スロープや休憩時間の調整など。事業規模に対して負担が大きい場合は、努力しなくてもよいことになっているという。
なお、同法の対象分野は障害者の日常・社会生活全般に及ぶ。ただし、雇用分野は障害者雇用促進法が定めており、対象外となっている。
法律による影響、旅行会社に想定されるリスクは
実は、同法の違反そのものに対する罰則(ペナルティ)は規定されていない。ただし、主務大臣は事業者に対し、報告を求めたり、助言や指導、勧告ができると定めており(法12条)、その報告をしなかったり、虚偽の報告をした場合には20万円以下の罰金が科せられることになっている(法26条)。
また、同法での罰則はないものの、旅行業法や民法などその他の法的リスクはあると谷口氏は注意を促す。例えば旅行業法との関係では、同法の違反が「旅行者の利便を害する事実」の根拠となりえるとし、その場合は旅行業法18条の3の業務改善命令が行なわれる可能性があると指摘する。
民法では、違反の事実が不法行為責任(民法709条)や債務不履行責任(民法415条)の根拠となり、損害賠償請求がされる可能性もでてくる。以前から、差別による公序良俗違反(民法90条)を主張して損害賠償請求がされるケースはあったが、谷口氏によるとそれは弁護士などの“知恵”がないとできなかったこと。多くの人は行動に起こしていなかったが、同法によって自分の権利を主張しやすくなり、「事業者が障害者との関係に負うリスクが増えると考えている」という。
さらに、現場レベルへの影響についても、法律に対する障害者団体の注目が高く、社会的な機運も高まっていることから、「要求水準が上昇する」と予想。法的には「正当な理由」や「過重な負担」によって事業者の義務は限定的だが、そもそも「法律自体が簡素で抽象的」であることから、「当事者間で判断のギャップが生じる可能性がある」とし、苦情等の言い争いが発生する機会が増えるとみている。
そのため、旅行の申込みの拒絶や契約解除などをする場合は、「同法の趣旨と標準約款に基づき、障害者の状況に合わせた判断とその結果について丁寧な説明が必要」とアドバイスした。ちなみに谷口氏によると、標準約款は障害者差別解消法の趣旨を踏まえたものとなっているといい、同法にあわせて改正する必要はないと見ている。
国交省の対応指針(ガイドライン)とは
障害者差別解消法の対応指針(ガイドライン)とは、事業者が適切な対応をするための具体例を示すもの。全省庁の主務大臣が政府の「基本方針」に則って、所管事業ごとに作成し、法的拘束力はない。そのため、記載内容と相反する行為をしてもすぐに違法になるわけではなく、個別事例に応じて判断されることになる。
旅行業の対応指針は、募集型企画旅行の申込みの対応を中心に作成。旅行業の場合、
- 提供するサービスが航空機や鉄道、アクティビティなど多岐にわたること
- 旅行業者は仲介事業者に過ぎず、自らサービスを提供する機関ではないこと
- 原則、契約締結は事業者の自由であること
が他の業種と異なる特徴だ。
そのため、同じ人の申込みでも旅行内容に応じて正当性の評価が変わり、その例を挙げにくい。他業種に比べて抽象度が高いのが課題であるが、これに対しては障害者団体が懸念を示しており、表現や文言の具体性を検討していく方針だ。対応指針は必要に応じて見直し、適時充実を図ることとなっている。
対応指針は2015年10月中旬の策定を予定しており、今回のセミナーでは8月10日策定の「対応指針(案)」(8月10日にパブリックコメント実施※リンク先の「国土交通省所管事業における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針(案)」の620行目以降が【旅行業関係】のページ )に基づいて説明がされた。このうち、セミナーの質疑応答で会場から具体的な質問があがったものを、参考として以下に記載する。
なお、障害者差別解消法は事業者側に義務付け、または努力義務を課すものだが、そのサービスを受けるのは消費者である。同法の施行後、各事業者が適切な事業を行なうためには、政府が消費者に広く同法を周知し、この法の下にサービスを提供していることの理解浸透を進めることも重要だろう。
質疑応答の内容
Q:「障害を理由としない、又は、正当な理由があるため、不当な差別的取扱いに当たらないと考えられる事例」で示されている「ツアーを安全かつ円滑に実施するために必要となる運送等サービスをやむを得ず手配できない場合に、ツアーへの参加を拒否する、又は、旅程の一部に制限を加える」について。ここでいう「やむを得ず手配できない場合」は、例えば現地に必要な運送等サービスはあるが、会社が契約をしていないためお客様に提案できない場合はどうか。
A:実際に必要な運送等サービスが存在しない場合はもちろん、取引ルート上、手配が困難であれば「やむを得ず」に当たると考える。膨大な費用の発生や手配の交渉に時間がかかるなどは「やむを得ず」に当たる可能性が高くなる。打診すれば手配が可能な場合は「やむを得ず」には当たりにくくなる。
Q:今回の事例には身体障害の例が多いように読み取れるが、実務では精神的障害や認知症の方の対応もある。もし、同行の介護者側が「大丈夫」と言った場合に申込みを拒否した場合、差別に当たるか。
A:精神障害や認知症は他の参加者にどの程度の影響を与えるか、判断が非常に難しいと思う。介護者が「大丈夫」と言い切った場合に断ることは難しいと考える。しかし、旅行中にトラブルが発生し、旅程に支障をきたすような事実が発生した場合に、その段階で旅行業者は解除を選択することになるだろう。その場合は差別に当たることはないと考える。
取材:山田紀子