千葉千枝子の観光ビジネス解説(4)
変わりつつある世界のMICEトレンドに対応するシナリオを
ミーティングやインセンティブトラベル(報奨旅行)、国際会議、イベント・エキシビションなどを総称する観光造語・MICE(マイス)。そのベニュー(会場)は、壮大なコンベンションホールや国際会議施設での、華やかな開催をイメージする人も多いだろう。
日本では、1994年にコンベンション法が制定されて以来、日本全国52もの国際会議観光都市が認定された。自治体ごとにハコモノが建設され、近年では寺社・城郭、公園などユニークベニューの活用促進がはかられるようになった。
しかし世界のトレンドをみると、国際会議場の利用割合はここ数年、低減しており、一方で大学とホテルファシリティの利用が増加傾向にある。国際会議の開催促進に取り組む国際機関ICCA(国際会議協会)の統計(図表-1)に、如実にあらわれる。ちなみに図表にある「その他ベニュー」とは、「城郭や洋上、劇場など」と注釈がある。
世界の国際会議開催件数が増加傾向にあるなかで、ベニューのトレンドが今世紀、国際会議場“以外”へと遷移していることを見逃してはならない。
大型MICEを誘致するさいに、容量があるクルーズ船のチャーターを検討する声を、たびたび耳にする。とはいえ大型客船に対応するバース(係留施設)の整備が追いつかず、停泊料などのコストもかかるため課題が残る。しかし好機を逸しないためにも、港湾をもつ地方都市においては、検討すべき点である。
▼日本のMICEベニューも「大学」が件数上位に
では、日本のMICE開催会場はどうだろう。JNTO日本政府観光局発表の「日本の国際会議開催状況」によると、国内における開催件数上位のうち、開催会場の大半を大学が占める。東京大学や京都大学、大阪大学、名古屋大学、北海道大学など日本を代表する国立大学が上位に踊り、とりわけ九州大学が群を抜く(図表-1)。産学官連携への動きが一早く、連携機能強化を目的にした専門の組織・九州大学産学官連携本部IMAQをもつ。
その九州大学のお膝元・福岡市は、国際会議開催件数最多の東京(23区)に次ぐ、国内第2位の“MICEシティ”だ。その数、年間252件(2012年)と、第3位の京都市(196件)を寄せつけない。空港から市街地へのアクセスがよい福岡は、コンパクトシティであり国際都市と、条件が揃う。
さて、件数だけでいえば大学が国際会議開催の上位だが、参加者総数で比較をすれば大型の会議専用施設のほうが当然に勝る。1件あたりの参加者数平均は、パシフィコ横浜が2000人規模に対して、どの大学もその10分の1程度と少数だ。収容人員が障壁となり、誘致を断念せざるをえない私立大学は、国内無数に存在する。また、国際会議の大学開催を支援・相互補完できる、地域の環境づくりも課題になっている。
これからは地域の大学との連携も視野に、相互に発展できるMICEシナリオをつくることも重要だ。例えば沖縄県の場合、国際色豊かな沖縄科学技術大学院大学(恩納村)あたりが、一つの試金石になりそうだ。九州・沖縄サミット(2000年)の首脳会談で議場となった万国津梁館(名護市)をはじめ、既存のコンベンション施設にばかり目がいくが、優秀な頭脳が集まる場所にも、今後は光をあてたい。
▼オーガナイザーの期待に応えるホテルファシリティ
MICE誘致のためのリノベーションも活発に
近年、海外のホテルではMICE誘致を目的に、オーガナイザーのさまざまな希望に対応できるよう施設整備が進められてきた。ボールルーム以外に、ミーティングのサイズにあわせた大小会議室や小間をバリエーション豊かに用意する傾向は日本も同様。ただし海外の国際会議場には、控室階直結のエレベーターがあり、裏導線で隣接するホテルへ移動できるような配慮もなされるところが珍しくない。連動した開発が行われているのがわかる。
また、日本では建築基準法等で設置手続きが煩雑なマーキーを、屋外プロパティにスペース確保する海外ホテルも増えている。天候次第でガーデンでの開催を選り分ける判断が、迅速にできる。
MICEに対応した本格的なリノベーションの海外事例をみると、単なるスペックではなく、マーケットへの正対がホテルにも求められているのがわかる。具体例としては、韓国・仁川の米国系ホテルの場合、増大するチャイナマーケットに照準をあわせて、館内の中国料理レストランに巨大な円卓をしつらえ、さらにはVIP専用の個室を設けた。欧州の後背地で費用対効果が高いと人気のトルコでは、スイス系のホテルグループが買収した地元老舗ホテルの全客室をヨーロピアンタイプにリノベートして、グローバル企業の世界大会誘致に成功した。
こうした背景には、オーガナイザーのホテルに対する高い期待感がある。ホテルが持つ高いサービスとノウハウ、それらをファシリティがさらに完成度の高いものにさせてくれるという期待感にほかならない。