こんにちは。旅行・グルメライターの古屋江美子です。
いま、世界中で拡大しているハラル市場。ハラルとは、イスラム教の戒律に則った食品や商品のことです。日本国内でも訪日観光客をターゲットにしたハラル対応レストランや商品開発の動きが加速しつつあります。また、機内食の世界でも、ハラル対応を強化する航空会社が増えてきました。 *冒頭写真はエミレーツ航空で提供されるハラルの和食。
ハラル機内食とは何か?
多くの航空会社では、「スペシャルミール」と呼ばれる特別機内食が用意されています。宗教や健康上の理由に配慮した食事で、その中にはイスラム教徒のための機内食もあり、「イスラム教徒ミール」や「ムスリムミール」などと呼ばれます。
イスラム教には、厳しい食の戒律があります。「ハラル」(またはハラール)とは、イスラム教の戒律に則って調理され、食べることを許された食品のこと。逆に食べることを禁じられた食品は「ハラム」(ハラーム、ノンハラルとも)です。ハラル食品は一般的に以下のような要件を満たす必要があります。
- 豚肉禁止(肉だけでなく、豚肉由来のポークエキスやラードも禁止)
- 豚以外の肉もイスラム教で定められた方法でと殺処理されていなければならない
- アルコール禁止(そのまま飲むのはもちろん、調理にも使えない)
- ハラムに触れた調理器具や食品の使用禁止
シーフードは基本的にハラルですが関しては、地域や宗派によってはウロコのない魚はNGなど多少見解の違いがあるようです。
日系の航空会社などではムスリムミールをはじめとする特別機内食は事前の予約が必要ですが、イスラム系国家の航空会社では、そもそもハラル機内食のみを提供しているところも少なくありません。具体的にはエミレーツ航空やカタール航空、エディハド航空、ガルーダ・インドネシア航空、マレーシア航空などでは、すべての機内食がハラルです。
みりんもお酒も使えない、和食をハラルで提供する大変さ
エミレーツ航空も、全路線でハラル機内食を提供しているエアラインの1つです。機内食には伝統的なアラビア料理も出ますが、日本路線では和食も提供され、当然、その和食もハラルです。
先日、ドバイにあるエミレーツ航空の機内食工場(エミレーツ・フライト・ケータリングで)のホットキッチンで副総料理長として現場の指揮を執っている佐藤竜太シェフが来日。ハラルという制限下での機内食づくりの苦労を教えてくれました。
「和食もハラルですから、お酒やみりん等、アルコールを含むものは一切使いません。和食も関しては私がメニューを考えますが、一番苦労するのは、やはりお酒が使えないことですね。お酒には、臭みを消したり肉を柔らかくするなど、いろいろな効果がありますから」と佐藤シェフ。
もちろん、お酒が使えないことが障壁となるのは和食だけではありません。
「以前、洋食メニューで仔牛のほほ肉の煮込みを作るときに、ワインが使いたくて。でも絶対に使えないのでブドウジュースで代用してみたりしました。おもしろいことにそれなりに似たような味にはなるんですよ。でも、決して同じ味にはならないんですよね」
残念ながら現在のところ「これを使えばお酒がなくても大丈夫!」といえる完璧な代替品はないとのこと。それゆえ、味のバランスには特に気を使うといいます。
「砂糖の甘さ、塩加減、そして出汁の旨味。とくに和食では、そのバランスを強く意識しますね。かつおだしなど、出汁が使えることは大きいです」
一方で、ハラルの要件の中でも、豚肉が使えないことは、それほど大きなハードルにはなっていないそうです。これは牛やラムなどほかに使える肉があるから。また、ハラルの食肉はよく血抜きをするのが特徴ですが、それによる仕上がりの違いも特に感じないそうです。
むしろ考慮する必要があるのは、一度できあがったものを機内で温めなおすという機内食特有の環境の影響。また、肉の焼き加減を行き先によって調整しているのも、地上のレストランとは違うところです。
「日本人はミディアムやミディアムレアを好む人が大半ですが、アラブでは血や赤い肉を見るのがダメという人が多いので、焼き加減はウェルダンじゃないといけない。一方で、ヨーロッパの方は中が少し赤いミディアムレアくらいを好むので、地上の火入れはその一歩手前にとどめます」
ホテルのような例外なし! ハラル厳守の機内食工場
エミレーツ航空の唯一の日本人シェフとして、佐藤シェフがエミレーツ・フライト・ケータリングで働き始めたのは2011年から。それまではアメリカやスペインなど海外のレストランや国内の懐石料理店で研さんを積み、2007年にはドバイのホテル「ハイアット リージェンシー ドバイ」内の日本料理レストラン「京(みやこ)」の料理長に着任。その後、同ホテルの副総料理長に昇格しました。
そんな経歴を見ると、すでにエミレーツ・フライト・ケータリングで働く以前から、ハラルの制限下で和食を作ることは慣れていたのでは? と思いきや、同じドバイにあっても、ホテルと機内食工場では状況がまったく違ったそうです。
人口の約9割が外国人といわれるドバイでは、イスラム教以外の宗教に対しても寛容。豚肉を売っているスーパーもありますし、高級ホテルのバーやレストランではアルコールも飲めます。そして佐藤シェフがいたような5つ星ホテルのレストランには、ハラル以外の料理もメニューに並んでいます。実はドバイの5つ星ホテルの大半には、「ポークキッチン」や「アンハラルキッチン」と呼ばれる特別なキッチンがあり、そこでは通常の和食やその他ハラル以外の料理が作れるのだそうです。
「ポークキッチンに行けば豚肉もお酒も使って料理ができて、お客さんにも提供できたので、私自身、ホテル時代はそこまで不便を感じることはなかったんですよね」。
もちろんアンハラルキッチンは個室のように隔離されており、そこで使われる調理器具などが部屋の外に出ることなどがないよう、厳格に管理されています。
ところが機内食工場に来ると、状況は一変。こちらは完全なハラルキッチンでした。
「正直にいうと、来るまではここにも何か例外的なものがあるんじゃないかと思いました。たとえば和食なら、みりんがダメでもみりん風調味料のようなものが使えるとか(笑)。でも本当に厳格で、0.00001%でもアルコール分があればダメなんです。これはさすがに驚きました」
ちなみに佐藤シェフが機内食を手がけるようになって、地上のレストランと最も大きな違いだと感じているのが「お客様の顔が見られないこと」。もちろん社内でのフィードバックはありますが、食べている顔を見て、直接感想が聞けないことをもどかしく感じることも少なくないとか。レストラン出身のシェフならではの思いですね。
いい意味で万人受けするシンプルな味付けに
最後に「エミレーツならではの機内食へのこだわりとは?」と聞くと、佐藤シェフは次のように話してくれました。
「機内食は限られた時間、限られた空間で食べるもの。チョイスも地上のレストランほどありません。機上では味覚も変化しますし、複雑な味にするほど好き嫌いが出てくると思います。あえてシンプルにすることで、いい意味で万人受けするよう味を心掛けています」
世界80カ国以上に就航し、グローバルネットワークを構築する同社ならではといえるのかもしれません。
地上のレストランとは違い、多様な食文化・食習慣をもつ人たちに配慮しなければならない機内食。そこには現場で働くシェフたちの想像以上の苦労や工夫が隠されているのですね。