世界人口の約4分の1を占めるといわれるムスリム。その巨大市場を訪日旅行で獲得しようと、自治体やインバウンドに食指を動かす関連事業者が熱視線を注いでいる。
しかし、ツーリズムEXPOジャパン2015の「ハラールシンポジウム」で、日本ハラール協会理事長のレモン史規氏は、「ハラールは宗教、ビジネスは利益追求。そこを一緒にすると、誤った対応が増える」と指摘。そうなると「日本に来なくなり、マーケットが萎む」と、注意を促す。
また日本では、ムスリムやハラールに対する理解や知識の不足により、受入整備が進んでいない課題もある。しかし、ムスリム市場を熟知する登壇者からは「できることから始められる」との意見が述べられた。今後の整備推進のためのポイントを、シンポジウムの内容からまとめてみた。
ハラールとは何か
シンポジウムでどの登壇者も強く訴えたのは、ムスリムやハラールの根本を正しく理解することだ。
日本で「ハラール」と聞けば、食習慣のイメージが強いかもしれない。しかし、レモン氏によると、ムスリムの生活全般に当てはまる概念で、「合法であること」。「清浄・安全・良いもの」がハラールだ。一方、ハラールの反対、非合法は「ハラーム」といい、賭博や偽造、窃盗などもハラームである。
食習慣でいえば、酒や豚、毒や麻薬など人体に悪影響のあるものはハラームで、それ以外のイスラム法が認める方法で処理された一般的な食肉(牛、鶏など)や野菜、果物、穀物、魚などはハラール。そして調味料や添加物も、ラードやゼラチン、乳化剤、料理酒やみりんなど非ハラール由来のものは、非ハラールとなる。
また、マレーシア政府のハラール認証機関であるマレーシア連邦政府イスラーム開発局(JAKIM)のシラジュッディン・スハイミー氏は、食材のみならず、プロセスもハラールであることも説明。食料を栽培・生産する肥料や飼料などもハラールでなければならないし、流通や店舗陳列、保管時は非ハラールの食材と混載することは厳禁。非ハラールによって“汚染”されると見なされる。
調理の過程でも、ハラールと非ハラールを同じ調理場で扱ってはならない。調理器具や食器も、料理提供はもちろん、洗浄時も分離する必要がある。非ハラールの食事を食べた箸でハラールの食事に手を付けると、その料理は非ハラールになってしまうという。
注意すべき事項は細部に及び、かなりの制約があるように思うかもしれない。しかしレモン氏は、ムスリムが生活の規範とする聖典コーランに、「合法(ハラール)なものを食べて、悪魔の歩みに従ってはならない。かれは、あなたがたにとって公然の敵である」と書かれていることを紹介。ムスリムにとってハラールは、正しい人生を送るために欠かせないものだと、理解を求めた。
ムスリム旅行者の気持ちを理解
つまりハラールは、ムスリムにとって必要最低条件。旅行中でもこの条件を踏まえた上で、観光地の魅力を楽しみたいと思っている。
JTBでハラールビジネスやムスリムの受入環境整備支援を担当する石毛照栄氏は、同社が実施したインドネシアとマレーシアのムスリム旅行者の実態調査の結果を発表。訪日旅行の目的で最も多かったのは「日本の自然・四季」だが、インドネシア人では「日本食」が2番目に多かったという。
スハイミー氏も、「人々の楽しみの一つは食べ物。日本に来たら、ハラールのてんぷらや寿司を食べたいと思う」と、ムスリム旅行者の気持ちを代弁する。
しかし石毛氏は同調査から、回答者の80%はインスタント食品などを用意し、70~80%は食事や礼拝に不安を感じているとの現状を説明。55%の人はハラール認証マークがなくても原材料表示から判断して購入することも判明したが、レモン氏はわかりにくいものも多く、そういう場合は利用や購入はしないと補足する。
現に石毛氏は同調査で、日本で2人に1人が菓子類を購入したにも関わらず、次回の購入希望は少なったと明かし、「これは日本のハラール対応の状況を表している」と指摘する。
“ムスリムフレンドリー”の世界的パイオニアであり、専用サービスの普及・推進に取り組むクレッセントレーディングCEOのバハルディーン・モハメッド・ファザール氏は、「テーマパークやショッピングセンターなど、観光中に安心した食事が食べられなければ、心から楽しむことは出来ない」と、観光産業がハラール対応をする必要性を強調する。
正直で正しい情報の公開
このような訪日ムスリムの気持ちにどう応えることができるだろうか。ハラール認証の取得がベストだが、すぐに取得するのは難しいし、規模によっては限界もある。
日本初のハラール認証を取得した食品卸商社・二宮の営業課長としてハラールのアドバイスを行なうアミルディン・スプリアディ氏は、好例として多国籍の利用者が集まるJICAの食堂の取り組みを紹介。
同食堂ではハラールミートを使用し、食品管理も厳重だが、酒は置いてあり、ハラール認証は取得していない。しかし、料理には原材料表示をし、入口には「ハラール認証を受けていないこと」などを明示。スプリアディ氏は「正直に伝えることが大切」と述べ、ムスリムが判断するためのサポートをすることが重要だと強調した。
ちなみに、JICAの対応は「ほとんどの人は許容範囲だと思う」とコメント。スハイミー氏も関西のJICAの食堂を訪問した経験から、「向上の余地はまだある」としながらも、「JICAではハラール食品が提供されている」とする。
自分たちにできることからスタート
このほか、すぐに対応できる例として各登壇者から、使い捨ての食器の利用や調理場や保管庫などはしっかりとした仕切りがあれば分離されたとみなされることも説明。ムスリムのスタッフを雇用し、サービスのプロセスに従事していることが分かれば、「認証マークよりも有効」との考えも示された。
食品以外ではファザール氏が、ホテル客室内の避難経路マップに祈りの方向を示すキブラマークを記載することを提案し、「あまり複雑なものと考えてほしくない。自分たちに何ができるのかを考えることが大切」とアドバイス。旅行者の気持ちを考え、できることを実践していく。ハラール対応はまさに、訪日ムスリムに対する「おもてなし」といえるだろう。
啓蒙活動、海外へのマーケティング
まずはハラールの根本を理解すること。そして一つ一つの対応をはじめたら、次は「啓蒙・普及が必要だ」とファザール氏はいう。現在は、誘致する側でもハラールについて正しく伝えられる人は少ないとし、「スタッフの教育や能力構築は多額の投資をしても実施すべき」と主張する。
また、マーケティングも重要だ。「ムスリムは長年、日本を訪れたいと思っていたが、来ていなかった。それは知らなかったからだ」と述べ、昨今のムスリム市場に対するアプローチの効果を示す。
しかし、「各国もムスリムをターゲットとした取り組みを強めている」と、ファザール氏。オーストラリアや韓国・済州ではムスリム向けのガイドブックも制作している。日本に対しては「他の国とステージは違うが、必ず対応できる」と述べ、この分野では他国に後れを取っていることを示唆した。
スハイミー氏は「非ハラールからハラールに変えることは、すでに多くの国でもしている。日本でもできる」と語り、今後に期待を示した。
取材:山田紀子(旅行ジャーナリスト)