修学旅行で行われる「平和学習」とは? 広島・長崎だけでない旅先と、そこで得られる多角的な視点の学び【コラム】

みなさんこんにちは、日本修学旅行協会の竹内秀一です。

日中戦争・太平洋戦争が終わった8月は、日本にとって特別な月です。

ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ地区への武力攻撃をはじめ、世界各地で戦争や紛争が起きている今だからこそ、「戦争と平和」について学び、考える「平和学習」が大切だと感じています。

広島、長崎、沖縄はもちろんですが、今回のコラムでは、全国各地の戦争遺跡に刻まれた戦争の記憶を忘れず、立体的に学ぶことを目指して実施されている修学旅行向けのプログラムについて、兵庫県加西市にある海軍の鶉野(うずらの)飛行場跡、熊本県錦町の山の中につくられた海軍航空基地の事例を紹介します。

※写真は「ひみつ基地ミュージアム」の海軍複葉機「赤とんぼ」レプリカ

学校における「平和学習」とは?

実は、現行の中学校・高校の学習指導要領では、どの教科・科目にも「平和学習」は単元としては設けられていません。そのため、学校での「平和学習」は、国語や社会(地理・歴史、公民)、道徳などの教科の授業でおこなうことが少なくありません。しかしこれでは、断片的になってしまいがちな側面があります。

それだけに、「総合的な学習の時間」(高校では「総合的な探究の時間」)を使い、生徒たちに「戦争と平和」についてしっかりと考えてもらいたいという学校が多くあるようです。こうした学校では、「総合的な学習(探究)の時間」と修学旅行とをリンクさせて「平和学習」をおこなうことが多くなっています。日本修学旅行協会の調査でも、コロナ禍の時期を含む2018~2022年度の5年間に実施された中学校・高校の修学旅行で、「平和学習」は、学校が「重点を置いた活動」として常に上位にランクされている活動でした。

修学旅行で「平和学習」といえば、旅行先は広島、長崎そして沖縄が定番で、毎年、たくさんの学校が訪れています。広島・長崎で原子爆弾の被害について、沖縄で沖縄戦の惨状について学ぶことは、生徒にとって戦争の実態を知り、考えるための他に代えがたい貴重な体験です。とはいえ、そこでなければ「平和学習」はできないかというと、そんなことはありません。

先の戦争は、全国各地にさまざまな爪痕を遺しました。戦後80年近くたった現在でも、各地に遺されている戦争遺跡は人々が体験した戦争の記憶をとどめています。もの言わない戦争遺跡ですが、それらに関する資料館とあわせてフィールドミュージアムとし、ガイドの案内でそれらを巡りながら「戦争と平和」について立体的に学び、考えようという修学旅行向けのプログラムが今、各地でつくられています。今回は、このうちの2つを紹介します。

【事例1】兵庫県加西市にある海軍の鶉野飛行場跡

目を奪われる特攻機の展示

兵庫県姫路市に隣接する加西市には、かつて姫路海軍航空隊の飛行場(鶉野飛行場)が設けられていました。現在は、飛行場跡とその周辺に防空壕など軍事施設の遺構・遺跡が多く残されています。鶉野飛行場はもともと航空隊員の訓練基地でしたが、戦争末期にはここでも「特攻隊」が編成され、大分県の宇佐海軍航空隊を経由して、鹿児島県鹿屋の串良飛行場から沖縄に向けて出撃していきました。

ここには、飛行場跡に建てられた「soraかさい」にある鶉野ミュージアムを拠点として、一帯に遺(のこ)る戦争遺跡群を巡るプログラムがつくられています。実際の修学旅行のプログラムは、どのように構成されているのでしょうか。

まず、平和記念碑前でセレモニーをおこなったあと、鶉野ミュージアムを見学します。すぐに2機の飛行機に目が行くでしょう、天井から吊るされている「九七式艦上攻撃機」は特攻機としても使われました。その下に展示されているのは、飛行場近くにあった川西航空機姫路製作所の工場で組み立てられていた「紫電改」。どちらも精巧な実物大レプリカですが、砲弾が飛び交う中をこれに乗って戦うことの怖さは容易に想像できます。

特に「ストーリーウォール」では、鶉野飛行場の歴史を4編のストーリーとして構成し、飛行場の建設から終戦までの約3年間の歴史が映像で紹介されています。基地建設にあたって学校やたくさんの住宅が移転させられたこと、多くの近隣住民、朝鮮人労働者らが動員されたこと、ここで編成された特攻隊の63名もの若い命が失われたことなどがよくわかります。

巨大防空壕シアターで感じるのは

「soraかさい」近くに一直線に延びる滑走路の跡があります。旧日本軍飛行場の滑走路のほとんどは戦後、田畑に戻されたり、道路に改修されたりするなどして当時の姿を留めていませんが、この滑走路はほぼ原形のまま残っています。大空に向かって次々と飛び立っていく飛行機、この場所に立つと当時の光景が目に浮かんでくるようです。

数多く残されている防空壕のうち、ひと際大きな防空壕を利用して「巨大防空壕シアター」がつくられています。壕内の壁面に、特攻隊員の遺書が朗読される映像が映し出されます。逃れることのできない死を前にした隊員の想いが胸を打ちます。と同時に、かけがえのない命をあまりに軽く扱う戦術や戦争そのものに対する憤りが自然と湧き上がってきます。実際に使われていた軍事施設の中で行われる貴重な体験です。モデルコースでは、このあと対空機銃座の跡や航空隊の入口を示す衛門の門柱(再現)を見学し、さらにいくつものコンクリート造や素掘りの防空壕、爆弾庫の跡を見ていくことになります。

鶉野飛行場 対空機銃座跡

飛行場跡から下る道は、北条鉄道(当時は播丹鉄道)の法華口駅に続いています。駅には、1915(大正4)年、開業当時の駅舎が残されています。各地からやって来た航空隊員のように、駅からこの坂道を飛行場に向かって上っていくと、彼らの想いに一層近づくことができるかもしれません。

関西方面の修学旅行なら、少し足を伸ばせば訪れることのできる「平和学習」の貴重なスポットです。

開業当時の駅舎が残る法華寺口駅

【事例2】熊本県錦町の山の中につくられた海軍航空基地

ミュージアムの特色ある常設展示

錦町は、熊本県南部、人吉市の東側に隣接しています。その北部、人吉盆地の山に囲まれた地に旧日本海軍は人吉海軍航空隊基地を建設しました。もともと整備兵養成のための教育施設でしたが、戦況の悪化に伴い、特攻訓練基地さらには本土防衛基地としての役割を担うようになり、本土決戦への備えとして地下にも大規模な軍事施設がつくられました。

ここには、今もその地下壕が残されていて、周辺の景観もほぼ戦時中のままだといわれています。基地跡に建てられた「山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム」では、航空基地に関わる資料展示と地下壕とを合わせてフィールドミュージアムとし、それらを巡るガイドツアーを運営するとともに、「平和学習」をさらに深めるためのワークショップの開発に取り組んでいます。

ミュージアムのエントランスには、海軍の複葉機「赤とんぼ」(九三式中間練習機)の精密な実物大レプリカが展示されていて、近くで見ると機体が布張りであることがわかります。これが練習機としてだけでなく特攻機としても使用されたと聞くと、信じられない生徒も多いのではないでしょうか。

常設展示では、航空基地に関する資料だけでなく、航空隊の兵士や地域の住民など「人」にスポットを当てた資料が多くみられます。なかでも航空隊員が書き残した日記の記事で人吉海軍航空隊を紹介する展示は、他にあまり例がなく、当時の様子がリアルに伝わってきて興味深いものです。また、航空燃料の代替としてつくられていた松根油に関する展示は、当時の日本がもはや戦争を継続できない状況だったことを示すよい事例で、少し離れたところに松根油の乾溜作業所跡が残っていることと併せ、このミュージアムならでのものです。

滑走経路を確認する

地下壕がなぜ山中につくられたか

ガイドツアーでは、戦時中の滑走路や作業道の名残を確認しながら森の中の道を下って地下壕に向かいます。地下壕で見学できるのは、現存する地下施設の中で最大規模とされる「魚雷調整場」と「兵舎壕」、「作戦室・無線室」。魚雷は海戦兵器のひとつです。いずれも航空隊員と動員された地元の住民が手掘りで掘った壕で、壁面にはツルハシの跡が生々しく残されています。住民は、この壕が何のために使用されるのか知らされないまま作業をしていたそうですが、これが戦時の実情なのだと思います。

ツルハシの跡が残る地下壕

「魚雷調整場」だけは木筋コンクリート造りで、壁面の材木が確認できます。魚雷が爆発しても他の壕に及ばないようなつくりとのことですが、戦争末期の資材不足の状況がわかります。壕内には、魚雷の実物大レプリカが展示されていて臨場感があります。「兵舎壕」、「作戦室・無線室」もベッドや机・イスなどはありませんが、部屋のつくりはそのままで、当時の空気が伝わってきます。戦争当時とあまり変わっていない周囲の景観を前に、このような山中に地下壕がつくられた理由を生徒たちに考えさせてみたいと思いました。

 地下壕の魚雷調整場

現在、ミュージアムが開発に取り組んでいるワークショップは、「平和学習」をSDGsと結びつけて深化させようというグループ学習のプログラムです。SDGsには「平和と公正を全ての人に」という目標があります。修学旅行でも、これを踏まえた「学び」の機会を設けることが、これからますます必要になってきます。

中学生・高校生に考えてほしい「特攻」

今回、紹介した2つの戦争遺跡は、どちらも「特攻」と深い関係があります。

「特攻」には、飛行機に爆弾を積んで敵艦に体当たりする航空特攻のほか、人間魚雷「回天」や小型艇「震洋」などを用いた特攻もありました。どれもが「十死零生」の戦法でしたが、航空特攻による戦死者数は最も多く、17歳を最年少とする4000名以上ともいわれる若者の尊い命が失われています。

いうまでもなく「特攻」は、人命を軽視した「非人道的」な戦法で、決して美化できるものではありません。生きて帰ることのできない戦いに向かう特攻隊員の想いを、中学生・高校生は、彼らと年齢が近いだけに自分と重ね合わせて捉えることも難しいことではないはずです。そこから、無謀な戦いを若者たちに強いた軍の体質、そして戦争そのものについて学んでほしいと思っています。

「観光」を主とする個人旅行で、広島・長崎や沖縄以外の戦争遺跡を訪れることはあまりないでしょう。また、戦争の実相をとらえるには多角的な視点が必要です。だからこそ、修学旅行では旅行先にある戦争遺跡を訪れ、そこに刻まれた戦争の記憶をたどりながら「戦争と平和」について学び、さまざまな角度から考えてほしいと願っています。

竹内秀一(たけうち しゅういち)

竹内秀一(たけうち しゅういち)

(公財)日本修学旅行協会理事長。東京教育大学文学部史学科(日本史専攻)卒業。神奈川県立、東京都立の高等学校教諭(いずれも日本史担当)、都立高等学校副校長を経て都立高等学校長。東京都歴史教育研究会会長、全国歴史教育研究協議会副会長。昨年度まで順天堂大学国際教養学部の非常勤講師として教職課程担当。

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