富士山をはじめとした集客力の高い観光コンテンツが多い山梨県では、さまざまな観光政策が進められている。今夏、初めて導入された富士山の入山規制のような課題解決から、観光産業の高付加価値化、「富士山登山鉄道構想」や「富士五湖自然首都圏構想」など将来を見据えた取り組みまで、その観光政策は幅広い。
山梨県の長崎幸太郎知事は「県内の三次産業では、観光業が大きな柱」と力を込める。インバウンドが急増している中、持続可能な観光産業の実現に向けて、どのような舵取りをしていくのか。長崎知事に聞いてきた。
富士山の登山規制、その背景と結果は
山梨県は今夏、初めて富士山の登山規制をおこなうことで耳目を集めた。国内外の登山者による山頂付近の深刻な混雑やマナー違反、弾丸登山による事故防止など、いわゆるオーバーツーリズム対策の一環だ。長崎知事は「富士山の来訪者の管理は、2013年に富士山が世界文化遺産になったときの国際公約」と話す。
2024年7月1日~9月10日の期間、富士山吉田口の県有登下山道では、1人あたり2000円の通行料を徴収(別途、任意で保全協力金1000円)。新たに登山ゲートを設置し、午後4時から翌日午前3時まではゲートを閉鎖し、1日の登山者数を上限4000人(山小屋予約者を除く)に制限した。
今回の措置は五合目から上と下を分けて考えた。長崎知事は「まずは、命の危険に関わる五合目から上で重点的に来訪者をコントロールすることを目指した」と明かす。
ただ、新しいルールの導入への道のりはスムーズとは言えなかった。登山ゲートを設置するうえでは、法律上の根拠を整理する必要があった。加えて、県民からの税金で規制にかかる運営をするわけにいかなかったため、施設使用料、いわゆる通行料を登山者から徴収することにした。それに対して、地元からは「2000円も取ると、観光客が来なくなる」との懸念の声が上がったという。
長崎知事は「富士山の価値はそのようなものではない」と地元を説得した。結果は、「功を奏した。いわゆる弾丸登山は、ほぼ解消した」(長崎知事)。
山梨県の発表によると、期間中の登山者数は前年比17.2%減の13万2904人、夜間登山者(19時~24時における六合目安全指導センター前通過者)は同95.1%減の708人となり、1日の登山者数は上限と定めた4000人を超える日はなかった。シーズン当初、外国人登山者の登山道での仮眠、山小屋前での滞留などの迷惑行為は一部で見られたものの、7月中旬以降は山小屋などからの苦情はほとんど確認されなかった。
一方で、規制(午後4時)間際にゲートを通過し、山小屋に宿泊せず山頂を目指す「駆け込み登山」や、軽装登山といった課題が出てきたことから、来年以降は、その解決を目指すという。
長崎知事は「ひとつのモデルを示せたと思う。やるべきことを即実行して大正解だった」と手応えを示す。
オーバーツーリズム問題は、富士山全体にかかる話で、静岡県の対応も待たれるところだ。静岡県も今夏、チケットシステムを活用した入山管理の試行を開始したが、通行料は無料、人数規制は行わなかった。
山梨県としては、来年も粛々と県の施策を進めていく。長崎知事は「自治体同士で調和の取れたルールを取りたいと思うが、国の定めた法律上の制約があるため限界がある」との見解だ。富士山は国立公園。静岡県側の道路法の課題も国との関係になる。静岡県の登山規制については、静岡県と国の問題だが、山梨県としては富士山全体の問題として、「サポートは惜しみなくやっていく」(長崎知事)考えだ。
また、長崎知事は富士山のオーバーツーリズム問題について、分散化の必要性を説く。「富士山は頂上から日の出を拝むだけでなく、旧登山道を登って、富士講が伝えてきた文化を体験する面白さも伝えていきたい。富士山登山は、さまざまな楽しみ方がある」と話し、分散化は県全体のテーマでもあると付け加えた。
観光産業の高付加価値化を支援、人材流出を阻止へ
長崎知事が、県内の観光産業の課題のひとつとして位置付けているのがサービス業としての高度化だ。「薄利多売のメンタリティで、安い給料のうえに重労働であれば、働き手は誰も来なくなる。人材が県外に流出してしまう」と危機感を示す。
「宿泊施設をはじめとした観光産業のステータスを上げていき、特に若い人や女性にとって憧れの職場にしていきたい」。
それを実現していくために、県として観光産業の高付加価値化を目指している。長崎知事は「それが山梨県の観光政策の基本的な哲学」だと力を込める。
今後、人口減少で担い手はどんどん減っていくなかで、「人材を集めるためには給料を上げることが必要」と明快だ。そのうえで「高い満足度を提供できれば、来訪者は増えて、収益も上がる。そういう道を目指していく。そのためなら、県はいくらでも支援する」と続けた。
長崎知事によると、少しずつ県内投資も始まっているという。企業誘致を支援する県の「産業集積促進助成金」の対象に、製造業のほかに、数年前から観光関連も加えた。
長崎知事は、「たとえば、500室の宿泊施設を誘致して、稼働率が90%になったら、年間を通して400人強の村ができることと同じ」と例える。そこに雇用が生まれて、さまざまな関連産業も参入してくる。「製造業の工場と同じ意味で、山梨県にとって重要なこと」との認識だ。
また、高付加価値化に向けては、既存の資源を活用した新たな仕掛けも模索している。たとえば、石和温泉。周辺にリハビリテーション系の病院が集積することを活かす。旅行に行きたくても健康上の理由から躊躇している高齢者や療養中の人を中心に、病院の理学医学療法士らと連携して「安心して、温泉旅行が楽しめる温泉地にしていきたい」という。いわゆるユニバーサルツーリズムだ。
長崎知事は、「高級旅館でなくても、ニーズを満たすことで、しっかりとした収益モデルを作ることができるはず」と話す。
さらに、山梨県の食と観光のコラボにも意欲を示す。フルーツやワインをはじめ、高値で取引される北杜市の「武川米」、キングサーモンとニジマスを交配した山梨県のブランド魚「富士の介」などを観光促進に利用していきたい考えだ。
加えて、生産者と料理人のマッチングを通して、「美食王国」を作っていく取り組みも始めているという。長崎知事は、「たとえば、丸の内の30代、40代の女性の間で、山梨県のレストランが話題にのぼるようになれば」と期待を込める。
富士山エリアを「日本のダボス」に
長崎知事は、将来ビジョンとして富士山エリアを「世界レベルの観光エリア」に形成していくことを掲げている。「富士山を含めて、このエリアを世界中の人たちの交流の場にしていきたい」と話す。
その目標に向けて動き出しのが「富士五湖自然首都圏構想」だ。2022年に「富士五湖自然首都圏フォーラム」を立ち上げ、環境負荷を軽減する交通手段への移行や、芸術溢れるまちづくりなど、5つの分野に関するワーキンググループを設け、具体的な取り組みの検討を始めた。
また、このフォーラムからは、「富士五湖グローバル・ビレッジ」と「富士グリーン水素コミュニティ」の国際コンソーシアムが設立。国際連携や官民連携でさまざまなプロジェクトが動き出している。
そのひとつが、今年4月に開催された国際コンペティション「Fuji-California Young Artists Expo」。100カ国以上の学生たちが参加した。次世代のリーダーや社会起業家の育成を目指す目的で、「人権とジェンダーの平等」や「気候変動と持続可能性」などの社会問題をテーマにしたアート作品を募集し、オンライン上での展覧会のほか各地で巡回展も行った。
「海外の若者と山梨県の若者が共通のアクティビティを通じてさまざまなことを体験して、その先も交流を続けられるような場にしていきたい」と長崎知事。目指すのは「日本のダボス」だ。
一方で、この構想実現に向けては「地元の理解が勝負どころ」との認識も示し、「この構想が地元のビジネスや産業とどのように結びつくか、そのメリットを伝えていく必要がある」と続けた。
このほか、長崎知事は2020年に「富士山登山鉄道構想」を打ち出した。既存道路を活用し、環境への影響が少ない富士山有料道路上にLRT(次世代路面電車)を敷設する案を想定している。
「最終的には、富士五湖エリアやリニア中央新幹線につながれば」と期待は大きい。
「山梨県は一貫して観光客を歓迎している」
ここ数年、インバウンドの急回復でオーバーツーリズムの象徴的な場所になってしまった富士山エリア。富士河口湖町が、富士山の眺望を遮るために「ローソン河口湖駅前店」前に設置した黒幕は、その象徴として世界各国のメディアが報じた。
一方で、似た景観が望める「ローソン富士河口湖町役場前店」では、車道に人がはみ出さない対策として、駐車場と車道の間に花壇を設置。周辺環境に配慮した対策を施している。長崎知事のアイデアだという。
「観光客が集中することで、いろいろな摩擦が起きているが、知恵が積み重なっていけば、共存していける」と長崎知事。そのうえで、「想定以上に観光客が増えたためにビックリしているだけで、山梨県は一貫して観光客を歓迎している」と強調した。
ソーシャルメディアで思いもよらない場所が観光地になる時代。特定の場所、特定の時間に観光客が集中する事象は他の地域でも起こり得る。国が地方へのインバウンド送客を国策として進めるなか、山梨県の取り組みには今後も注目だ。
聞き手:トラベルボイス編集部 山岡薫
記事・写真:山田友樹