世界的にパウダースノーの聖地として知られ、外資系の高級ホテルやコンドミニアムが相次いで開業している北海道のニセコ地域。大規模リゾート開発が進む一方、環境に負荷をかけないまちづくりを目指す取り組みが国内外から注目を集めている。ニセコがインバウンドに着目して成長してきた経緯から、未来に向けた観光と環境、地域社会の関わりをどのように考えているか、ニセコ町長の片山健也氏に聞いてきた。
「小さな世界都市」が誕生した経緯
富裕層をはじめ、日本でも有数のインバウンド誘致に成功した地域として知られるニセコ。海外へのPRに乗り出したのは1990年代後半だ。片山氏は「ニセコ町はピーク時には約69万人の宿泊客があったが、バブル崩壊で約31万人にまで減少。日本が人口減少社会に入るなか、国内市場の限られたパイを奪い合っても伸びないと考えた」と振り返る。
インバウンド黎明期だったこの頃に取り組んだのは、海外セールスと観光協会の民営化の2つ。「まず、台湾に手弁当で出かけ、旅行会社や旅行博を回ってニセコを売り込んだ。その後、香港でつてができ、欧米豪へと拡大していった」(片山氏)。最初はカヌーやラフティングといった夏のアクティビティを中心にPRしていたが、徐々に冬のパウダースノーが称賛されるようになり、海外の投資家も注目するようになった。
さらに、2003年9月には、かつて任意団体だったニセコ町の観光協会を、ニセコ町とニセコ町民が50%ずつ出資し、ニセコリゾート観光協会として株式会社化した。観光協会が町役場の一組織から株式会社化したのは全国で初めてだった。
「当時、観光は市場原理で儲けるものではないという意識が強く反発もあった。だが、平等を求める行政だけでは、正しく差別化された情報が出せない。補助金ありきではなく、自分たちで賄って金を稼いでいく組織体制に生まれ変わることで、たとえばホテルや旅行会社とどうタイアップするかといった現場に即した動きがスピード感を持ってできるようになった」と、片山氏は語る。「小さな世界都市」を標榜し、20年後の日本を代表するインバウンド誘致を含めた地域振興を先取りしていたのがニセコだった。
海外スキーヤー呼び込んだ独自の自治「ニセコルール」
観光協会の株式会社化とともに大きなインパクトを与えたのが、2001年に制定された「ニセコルール」(当時の名称はニセコローカルルール)である。
かつて多発していた痛ましい雪崩事故を防止するために、「完全立入禁止区域を設けるものの、多くの人にとって魅力的なコース外滑走を認める。その代わりにゲートを設け、危険が予測される場合にはゲートは閉じられ、ゲート外には出ない」というものだ。
1994年にニセコ・モイワ地区のロッジ経営者が始めた「ニセコなだれ情報」の発信から始まり、スキーヤーとスキー場関係者、行政、研究機関など組織の枠を超えたミーティングを重ねて、滑り手の自由を尊重しつつ、その安全に重大な関心を持つ独自のルールを設けた。
片山氏は「ニセコが、世界中からこれだけ多くのスキーヤー・スノーボーダーを惹きつけ、世界のスノーリゾートと肩を並べるようになれたのは、雪崩の情報を積極的に発信することで事故防止とともに環境を守り、まさにパウダースノー、ふわふわの雪が広がるバックカントリーの滑走を可能にしたニセコルールの存在があったからともいえる」と胸を張る。現在も、ニセコ雪崩調査所やスキー場のパトロールの人たちが、絶えず改善しながらニセコルールの運用を支えている。
環境モデル都市・SDGs未来都市へ向けて
片山氏は、「私たちのまちは観光でよく知られているが、常に環境をキーワードにしている」と強調する。ニセコ町の2大産業は農業と観光だ。人口5000人程度でありながら、雄大な自然、アクティビティを求めて多くの人が訪れる。今、世界中でサステナブルな観光が求められるなか、ニセコ町は未来に向けて観光と環境、地域社会の関わりをどのように考えているだろうか。
「豊かな自然環境のもと営まれる農業は、おいしい農産物を育てるだけでなく、美しい農村景観を生み出す。これらを求めて多くの人が訪れてくれる。環境を基礎として循環しながら、ニセコは成長している。世界から観光客が来ても、環境、景観、長期滞在に耐えうるリゾートにするSDGsを推進することで世界の信頼を勝ち得たいと考えている」(片山氏)。
ニセコに進出した世界的なホテルも、町が掲げる環境に配慮したまちづくりに賛同している。ヒルトンやリッツカールトンなどの世界ブランドホテルが次々開業。今後、アマンも開業予定だ。事業に伴って移住した外国人はもとより、優れた教育環境に惹かれたファミリー層の移住も北海道トップレベルだ。祭り、料理教室をお互いに展開して交流するなど、町民とともに暮らしを楽しみながらニセコの成長を願うベクトルは同じ方向を向いている。
ニセコ町は、国営農地整備事業とともに、観光ではSDGsの取り組みが評価され、国連世界観光機構(UNWTO)からベストツーリズムビレッジに選ばれた。CO2排出に関しても、2050年までに86%の削減を目指す。町のCO2排出量の約7割が建物由来であることから、建物を高気密・高断熱化することで一定量の排出を抑制できる。すでに町庁舎に対策を施し、エネルギー効率を従来の5分の1まで抑えた。
また、住民やホテルの生ごみは微生物による発酵で土に返し、雪を活用した食糧庫の設置や、地中熱・温泉熱、太陽光など、自然エネルギーも積極的に導入している。さらに、ニセコ生活・モデル地区構築事業(SDGs街区)を展開。官民出資のもと設立したニセコまちがCO2削減のため、暖かい空気が外に逃げない省エネな住宅を増やしていく試みだ。
町が重視する相互扶助の精神が拓く未来
環境・社会・経済の3つの側面のバランスがとれた社会の実現を目指すニセコ町。ニセコルール、SDGs街区をはじめ、以前から町に根づいてきたのが、行政と協働しながら住民が参加し、情報共有を図ってきた自治の実践だ。
片山氏は「ニセコ町で大切にされてきた“相互扶助”の精神を大切にし、町民とともにまちづくりを進めることで、未来に向けた観光と環境、地域社会の共存、発展を果たしたい」と力を込める。そこには、日本が目指す観光、持続可能な社会、より良い地球環境の未来が見え隠れしている。
取材、記事 野間麻衣子