こんにちは。東京大学公共政策大学院で、観光交通を研究している三重野真代です。本コラムでは、今、観光交通の観点から産業で起きている課題や取り組むべきテーマを解説しています。
初回では、地域を変える「グリーンスローモビリティ」、いわゆる“グリスロ”について、観光交通の基本的な考え方をお話ししました。今回は、実際にグリスロが観光地での回遊交通としてどのように使われているのか考えてみたいと思います。
まず、温泉地と2つの世界遺産登録地域の事例を紹介します。
地域、観光客、事業者、三方よしの仕掛け
あらためてグリスロとは、グリーンスローモビリティの略で、「時速20キロ未満で公道を走る、4人乗り以上の電動車を活用した小さな移動サービス」のことを指します。近年、あるべき観光交通の形を満たすモビリティの1つとして注目されています。
私は、観光交通について単なる移動手段ではなく、地域のため、観光客のため、事業者のための三方よしの仕掛けであるべきと考えています。多くの観光事業者に観光客を送客して観光消費額を向上させ、観光客が地元の人と触れ合える時間体験を提供する存在です。また、観光客の活動時間を延ばす疲労回復装置であり、さまざまな情報や理解を観光客に育ませる場所です。
【事例1】栃木県日光市:さらなるエリアの回遊へ
関東有数の観光地である日光市。しかしながら、世界遺産・日光東照宮に集中し、田母沢御用邸記念公園や憾満ヶ淵といったスポットが点在する西町エリアへの観光客の回遊が少ないという課題がありました。そのため、日光市や観光事業者が連携し、回遊性向上・満足度向上・滞在時間延長を目的に、東照宮から西町エリアの観光スポットを回遊するグリーンスローモビリティを2022年に導入。市が車両無償貸与し、東武バス日光が運行しています。
1日7便、1回200円(小学生は100円)で、現金、交通系ICカード、スマートフォンによるPayPayの支払いに加え、東武バス日光の各種フリーパスでの乗車、日光MaaSによるオンラインチケットでの購入も可能です。
西町エリアは「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で紹介されていることもあって人気はあるものの、各スポットが徒歩20分の距離で離れ、しかも狭隘な急坂道も含まれ、徒歩だけで円滑な回遊ができるエリアではありません。実際に私が訪れた時には、外国人ファミリーのお母さんがベビーカーを必死に押し、お父さんが幼稚園ぐらいのお子さんの手を引きながら坂を登る姿をグリスロの中から目撃しました。グリスロに乗れば、余計な疲労を得ることなく日光の中を回遊できます。
一方で、外国人旅行者は、どのようにグリスロの情報を得ているのでしょうか。簡単です。現地でグリスロのバス停を発見して、「あと数分でバスが来るみたい!」と相談して数分待ち、グリスロに乗車しているケースをよく見かけます。日光市のグリスロバス停は、時刻も路線もわかりやすく掲示されているため、初めて訪問した外国人旅行者の方もすぐに利用できるのが特徴です。
【事例2】島根県大田市:キラーコンテンツへの足を確保
次の事例は、石見銀山遺跡がある島根県大田市大森地区。世界遺産登録当時、多くの観光バスや乗用車が押し寄せ、住民の地区内交通が不便になるほど渋滞等が問題になったことから、住民の合意によって常時公開している坑道・龍源寺間歩のある銀山地区への路線バスおよび観光客の乗用車での進入が禁止されました。中止後は、駐車場から銀山入り口の龍源寺間歩まで片道約2キロの道のりを、徒歩またはレンタサイクルで移動することになりました。
もっとも、地域にとっては、苦渋の決断でした。多くの観光客に銀山を訪れてほしいという想いはあるものの、移動手段が自転車と徒歩に限定されてしまったために、身体的に往復4キロの移動が難しい観光客の訪問を厳しくしてしまう側面があったからです。
どうすれば、住民生活と調和する形で、多様な観光客の方を受け入れることができるのか。徒歩と自動車の間の大森地区にふさわしい乗り物はないのか。答えが見つかるには10年もの月日を要しました。そしてついに、グリーンスローモビリティ「ぎんざんカート」が、大森地区内の新たな観光客の回遊手段として住民の方に認められたのです。
ぎんざんカートは、毎週水曜日を除き、毎日運行しています。1日12~14便、運賃は乗車区間に応じて1回100~500円。運営主体は大田市、運行は「レンタサイクル河村」がおこなっています。レンタサイクル河村は、以前はガソリンスタンドを運営していましたが、閉業後、電動自転車等のレンタサイクル事業を展開していたところ、グリスロの運行も担うことになりました。ガソリンからEVへ。まさに時代の変化を体現しています。
ぎんざんカートは、観光客の乗車が多いモビリティですが、住民も乗車できます。「ぎんざんカートがあるから、免許を返納する」とおっしゃったお父さんもいたそう。大人気のため、満席で乗れない場合も少なくありません。
満員の場合はレンタサイクルを利用するか次の便まで待つようにとの案内はありますが、根本的な解決に向けて、大田市では将来的に、2台目のカートには運転手が乗車せず、電子制御で1台目についていくグリスロ車両牽引を検討しているようです。日本初のグリスロ版カルガモ走行は可能となるのか、注目しています。
【事例3】北海道登別市登別温泉:自動車以外の回遊促す
温泉地では、観光客に旅館以外のスポットに回遊してもらいたいものの、移動手段として自動車は使ってほしくない、と思っている地域は多いのではないでしょうか。自動車は渋滞を作り、交通事故を誘発し、温泉地の風情を奪います。自動車によらない温泉地内の回遊手段の1つの答えがグリスロです。
登別温泉では、環境にやさしい観光地として世界的に有名になることを目標に、登別国産コンベンション協会~極楽通商店街〜地獄谷展望台〜大湯沼川天然足湯を結ぶ回遊モビリティとして、グリーンスローモビリティ「オニスロ」(名前は地元小学生からの公募)を2023年から導入しています。運行主体は登別国際観光コンベンション協会で、車両は登別市が無償貸与しています。定時定路線運行ですが、ルート上であればどこでも手を上げて途中から乗ることもできます。観光交通ならではの、本源的交通としての機能を生かすため、マスコットの湯鬼神が車両に乗って、楽しませてくれるエンターテイメント体験も準備しています。
グリスロの課題としては、定員も少なく低速ゆえ便数にも限りがあるため、運賃だけで収支を合わせることが難しいことが挙げられます。現在は乗車数の増加や観光地としてのイメージ向上などのために無償運行を実施していますが、運行経費の確保は課題です。
このような状況下でも、環境に優しい持続可能な観光地づくりのため継続したい取組ですので、財源確保のため地域内外の企業から支援を募る「応援サポーター制度」の導入や視察受入も積極的におこなっています。また、コスト削減の取組として、有償運送資格者ではなく温泉街の有志の方々にご協力をいただいてグリスロを運行しています。さらに、まちぐるみでPRに取り組んでいます。
今回ご紹介した3つの地域では、日光東照宮というキラーコンテンツからの分散、オーバーツーリズムに陥らず住民と共生できる観光客の受け入れ方、環境にやさしい温泉地としての世界水準のブランド構築、という観光課題をそれぞれ抱えており、グリスロというモビリティの導入が1つの解決手段となりました。
モビリティは観光客からも住民からも「見える」手段という特徴を持ちます。それゆえ、乗客のみならず、すれ違うだけの住民にも、脱炭素や公平性などモビリティが備え持つメッセージが自然と伝わります。これは逆も然りで、モビリティによっては負のメッセージも発信されます。観光客向けの回遊交通には、決定プロセスに住民関与が不要な場合もありますから、モビリティの導入が1つの課題を解決するものの別の問題を生んではいないか、三方よしの多様な視点で地域への影響を考えることが重要です。