2020年代半ば、開業が予定されている日本のIR(統合型リゾート)。IRというと、いまなおカジノに注目が集まりがちだが、実像はMICE、日本の魅力を発信するエンタメ施設、ホテル、レストランを複合した、日本で初めて登場する巨大産業だ。ギャンブルの是非も問われるなか、世界とは一線を画す「日本版IR」とは何か? 今後のプロセスはどうなっているのか? 最前線の動きを、IR整備に携わる観光庁審議官の秡川(はらいかわ)直也氏に聞いてきた。
<秡川直也(はらいかわ・なおや)氏 プロフィール>
1988年に運輸省入省。自動車局貨物課長、航空局総務課長などを歴任し、2017年に観光庁審議官就任。2018年7月から観光庁審議官と内閣官房IR推進室審議官も兼務。
かつてない巨大産業が誕生
2030年の訪日外国人旅行者数6000万人の政府目標に向けて、日本の観光振興の鍵を握る大きな存在がIRだ。しかし、IRについてしっかり把握している人はどれほどいるだろう。「日本版IRとは何か?」との問いに、「少子高齢化、地方衰退が叫ばれるなかで、地域のまちづくり、観光をどうするのか。地元が置かれた状況を分析して整備したうえで、観光の未来をつくる起爆剤となるのがIRである」と答えるのが観光庁審議官の秡川氏である。
IRというと、とかくカジノと見られがちだが、日本がいま目指している姿はまったく異なる。
シンガポール、米国・ラスベガスをはじめ、海外の主だったIR先進国・地域は、カジノで危惧される依存防止策、治安悪化、マネーロンダリングに関しては徹底的に審査したうえで運営ライセンスを付与している。しかしながら、カジノ以外の施設建設については比較的自由だ。一方で、日本の場合は、2018年7月に公布された、特定複合観光施設区域整備法(いわゆるIR整備法)において、カジノ施設のほか、国際会議場、展示場、魅力増進施設、送客施設、ホテルの5項目の施設が含まれることが必須となっている。また、2019年3月に公布されたIR整備法の政令で、IRの必須要素が細かく規定されている。
しかも、MICEの場合、国際会議場施設と展示施設の基準を組み合わせて、3つの類型を設けることで、立地地域の特性に合わせて選択可能としつつ、これまでにないスケールとクオリティの実現のために、我が国を代表することとなる規模等の最低基準が定められている。
つまり、IRによって東京ビックサイトや東京国際フォーラムを超える規模のMICE施設ができる。ホテルも今の日本を代表するホテルに比べ、客室数も最小客室面積も拡大する。また、5項目のなかでも、秡川氏が「日本ならでは」と強調するのが、日本の魅力を伝える施設の併設だ。演芸場だったり、郷土料理のレストランだったりと、IRを通じてこれまで以上に地域の魅力をブラッシュアップして発信拠点とすることが求められている。
また、海外IRの大半は、民間のカジノオペレーターが主体だが、日本の場合は都道府県・政令都市と民間IR事業者が共同でIRに関わることになる。
「民間事業者は、経験値が高い海外オペレーターが中心となるだろうが、彼らは日本の魅力発信といったノウハウには欠ける。一部IR事業者が自前でサービス提供する部分があるとはいえ、自治体や日本の旅行会社とコラボレーションする可能性が高い。観光産業に携わる人たちにとってチャンスが広がるのは間違いない」(秡川氏)。
IR運営支えるカジノ収益
ただし、「カジノなしでIRを運営できないか」といった意見は依然として少なくないという。
この問いに対し、秡川氏は「実質的に難しい」と断言。具体的な根拠として、ある海外IR施設の収益構造を例として挙げる。その収益の内訳は、カジノ70%に対し、ホテル13%、買い物6%、その他11%。「ハイエンド層主体などターゲットはIRによって異なるが、カジノで収益を上げることによって、レストランやショップのテナント料を抑えることができ、結果的に幅広い顧客層へ還流できている。施設全体でバランスをとることが重要だ」(秡川氏)。
実際、ラスベガスとマカオのザ・ヴェネチアン、シンガポールのマリーナベイ・サンズを有する世界最大のカジノオペレーターである米国のラスベガス・サンズの2017年の売上は129億米ドル(1兆4557億円)で、このうち78%の101億米ドル(1兆1366億円)がカジノによるものだ。
では、ギャンブルの控除率(すなわち運営側の取り分)、還元率(顧客側の取り分)はどうなのだろうか。日本の宝くじの売上約8000億円(2017年)の内訳は、控除率53%、還元率は47%。競馬などの公営競技も控除率25%、還元率75%である。これに対し、ラスベガスが位置する米国ネバダ州のカジノは、控除率9%、還元率91%。
秡川氏は「カジノというと、身ぐるみはがれるというイメージがいまだ浸透しているかもしれないが、実際はまったく違う。こうした控除率・還元率は日本でも当然開示し、健全な運営のために常に透明性を求めていくことになる」と話す。
さらに、IRをつくるための投資規模はおよそ5000億円から1兆円。また、カジノ収益の30%や日本人一人あたり入場料の6000円は、IR事業者が国と都道府県等に納付することになっており、地域にとっても新たな財源が生まれることになる。
依存防止については、IR数が全国で3つ、カジノ内のゲーミング区域がIR全体施設総面積の3%以内、クレジットカード利用の禁止、カジノの景品、いわゆるコンプとして過度に高額な物品、サービス提供を規制するなど、諸外国以上の対策をとることが発表されている。
IRへの議論が進むなかで、日本がモデルとしているのがシンガポールである。シンガポールは2004年、リー・シェンロン首相が「単なるカジノではないIR」の検討を表明。税収増、来訪者増、雇用者増を意識したもので、公募の結果、都市型のマリーナベイ・サンズ(マリーナベイ・サンズ社)、リゾート型のリゾート・ワールド・セントーサ(ゲンティン・シンガポール社)の2施設が2010年に開業した。
その後のシンガポール観光産業の快進撃は多くの人が知るように、IR誕生前の2009年と2017年対比で、外国人旅行者数が1.8倍の1742万人、外国人旅行消費額が2.1倍の2兆1100億円、国際会議開催件数が27%増の877件などと躍進している。さらに、シンガポール政府は2019年4月、IR拡張計画を発表。2施設に45億シンガポールドル(3700億円)ずつ、合計90億シンガポールドル(7400億円)を追加投資し、ホテル、カジノの新設・増設やテーマパーク拡張の方針を表明している。
開業は早くて2020年代半ばに
日本でもすでに、IR開発に向けた動きが本格化している。大阪府・市をはじめとして、長崎県や和歌山県などがIRの招致を表明し、北海道や東京都、千葉市、横浜市などでも招致に向けた動きがある。
先ごろ、ツーリズムEXPOジャパン2019の中で初開催となったIRゲーミングEXPO2019年の会場で、IR構想を打ち出している大阪府・市特別顧問を務める橋爪紳也氏は、スマートリゾートシティのコンセプトのもと、ジャパンエンターテイメント、ビジネスモデルショーケース、アクティブラーニングライフクリエーションという3つのテーマ実現するIRを構築すると強調。「前例がないからこそやる」、「社会の価値を刷新することがIRのレガシーである」と語った。
今後のプロセスは、都道府県などがIR事業者と共同して区域整備計画を策定し、国土交通大臣が審査により上限3まで認定。実施協定の締結を経て、来年1月に設置されるカジノ管理委員会が、事業者の適格性を判断してカジノ免許を交付する。体制を整備するため、2019年7月には観光庁に国際観光部が新設されたほか、庁内にIR担当参事官も配属された。秡川氏は「巨大なIR建設のためには少なくとも3~5年を要する。開業は早くて2020年代半ばになるのではないか」と見通す。
日本の観光産業がかつてなく飛躍するチャンスを秘めた日本版IR。秡川氏は「観光行政に30年以上携わってきたが、まったく前例のない白紙のキャンバスからやる仕事に出会えたのは光栄なこと。若手時代に担当した整備新幹線に続き、非常にエキサイティングだと考えている。旅行業界にも、インバウンド、アウトバウンドさまざまな事業者があるが、IRは自分たちに関係ないのではなく、旅行の目的地、送客先としても大きな存在になる。どうビジネスをふくらますのか。知恵や提案を出し合ってともに発展していきたい」と力説した。
聞き手 トラベルボイス編集部 山岡薫
写真・記事 野間麻衣子