英国ロンドンからバーミンガムへと走る鉄道会社、チルターン・レイルウェイズでは、今年9月から「切符のいらない自由な旅」の実用化に向けて、携帯電話を使ったチケットレス化の実証実験をスタートする。同パイロットプログラムの技術パートナーを務めるのが、世界のOTAや旅行会社向けに、鉄道予約・販売のプラットフォームを提供するシルバーレイル社だ。今年6月には、エクスペディア・グループ傘下に加わった。
そんな同社の展開から日本の鉄道に対する示唆まで、このほどWIT Japanにあわせて来日したキャメロン・ジョーンズ最高執行責任者(COO)に聞いた。
世界最高レベルの鉄道ネットワークを誇る日本。ジョーンズCOOは、訪日インバウンド需要を地方へ波及するためには、鉄道の旅をチケットレス化し、利用者をさまざまなストレスから解放すること、流通チャネルを世界中からやってくる旅行者のためにグローバル化することが急務だと話す。
予約や情報収集のストレスから自由になる
チルターン・レイルウェイズは、英国ロンドンのメリルボーン駅を拠点に、人気の観光地ストラトフォード・アポン・エイボンやオックスフォード、バーミンガムへの路線を運行している。同鉄道を展開するアリヴァUKトレインズ社(Arriva UK Trains Company)は、英国で初めてモバイルを使った電子チケットを導入するなど、デジタル時代に対応した先駆的なサービスで知られる。
だが、同社とシルバーレイルが始めた実証実験では、さらに一歩前進。事前に電子チケットを買う必要もなくし、目指すのは「完全にストレスフリーな鉄道旅行。利用者はアプリを携帯端末にダウンロードし、利用当日、モバイルをかざして改札を通るだけ」(ジョーンズCOO)だ。改札口は、乗客の携帯のブルートゥース(Bluetooth)で開閉する仕組みだ。利用後は、時間帯や路線に応じ、自動的に運賃合計額を計算、課金される。GPSで乗客をトラッキングできるので、改札口がない駅でも利用状況は把握できる。
「たとえばキャンペーン運賃や割引パスの存在を知らずに乗車した場合でも、該当する場合は、自動的に割引料金が適用される。複雑な料金体系や情報収集のストレスや不安からも解放される」と同COO。鉄道会社には利用データが蓄積され、利用者はより手軽に鉄道を利用できる。結果として利用者増にもつながると期待する。
要予約の指定席については、事前にオンライン予約し、電子チケットをクラウド上にあるバーチャル・ウォレットに保管。乗車当日は、携帯端末でこれにアクセスし、改札口にかざしてスキャンする。
この実証実験で、シルバーレイルは、鉄道利用アプリケーションなど、一連のテクノロジーを提供する。英国の場合、改札口はすでにモバイルやスマートカード対応になっているため、大規模な改修は必要ないという。
ジョーンズCOOは「鉄道は、デジタル化が急速に進む旅行マーケットにあって、手つかずのままの領域。鉄道の市場規模は、年間予約高が3000億ドル、航空産業の4分の3に達するにも関わらず、オンライン手配から取り残されてきた」。だが航空会社ではすでにeチケットが普及し、タクシーでは、現金もクレジットカードもいらないウーバーなどライドシェア利用が拡大。「鉄道の旅も、デジタル化によって同じように自由で便利にすることが、当社の使命であり存在意義」と考えている。
エクスペディアが鉄道に本格参入
シルバーレイルの創業は2009年、米国ボストン。現在も研究開発の拠点はボストンだが、鉄道市場が大きい欧州へ進出し、営業拠点をロンドンとスウェーデン・ストックホルムに置く。現在は、欧州、米国、カナダなどの鉄道計35社を取り扱うAPIを、OTAや旅行会社に提供。鉄道に関するオンライン検索は年間10億件以上、予約は2500万件以上にのぼる。取引先はレジャー需要にとどまらず、法人顧客もある。
同社のビジネスモデルは、プラットフォームを提供する技術パートナーに徹し、流通施策には関与しない点が特徴的だ。サプライヤーである鉄道会社と、流通側の旅行会社やOTAの両方から、予約毎に少額の手数料を受け取るので、サプライヤー側だけにコスト負担が偏らない。また予約や売上高の動きは、鉄道会社がすべて把握できる透明性を確保。流通チャネル別のインセンティブや各種の流通施策を決めるのも鉄道会社側で、シルバーレイルは関与しない。
今年5月には、エクスペディアがシルバーレイルを買収し、注目を集めた。「これまで旅行会社もOTAも、鉄道販売にあまり積極的ではなかったが、エクスペディアは、鉄道の可能性の大きさに気づいた。競合他社も無関心ではいられなくなるだろう」(ジョーンズCOO)。なお、買収完了後も、シルバーレイルの事業は独立した形を維持し、従来通り、OTAや旅行会社との取引関係を継続する方針だ。
鉄道は、航空運賃やホテルに比べ、チケット単価の安さなどが流通側の関心の低さの一因。だが、ジョーンズCOOは鉄道を扱うメリットは非常に大きいと説く。「航空券やパッケージツアーより頻繁に利用するものなので、鉄道を扱えば、顧客とのやりとりが増え、緊密な関係や、自社へのロイヤルティ向上の効果が期待できる」。
またマーケティング戦略においても、アクセス手段である鉄道や、観光の起点となる駅は、これからの時代、重要な鍵を握ると同COOは指摘する。「これまでは空港のある町を中心とした観光マーケティングが主流だったが、地方の新しいデスティネーションへ旅したい、というリピーターの要望にも応えるには、鉄道駅を中心としたパッケージ商品開発や、地方都市の宿泊施設との取引関係が重要になる」。
鉄道は排出ガスなど、地球温暖化対策を考える上でも、飛行機より優位な交通手段で、将来的な投資や需要は大きくなると予測する。同社調査によると、欧州や米国の都市間の移動手段を比較した場合、所要時間2時間の高速鉄道がある区間では、飛行機と高速鉄道の利用シェアは、高速鉄道が7~8割、同3時間半でも、半分以上を高速鉄道が占めた。
訪日需要の地方拡散は、鉄道のデジタル化が鍵
残念ながら、日本の鉄道会社との取引はまだない。「日本には、すでに年間800億ドルの鉄道マーケットがある。特にJRは、世界最先端を行く秀逸な鉄道ネットワークで、日本各地にすばらしいアクセスを提供している。ただし、利用者から見た利便性は、まだ改善の余地が大きい。特に外国人旅行者にとっては不安だらけでストレスも大きい」とジョーンズCOO。
例えばジャパン・レール・パス。海外からの訪日客に大人気のプロダクトだが、「日本に到着した後、まず列に並んで、自国で購入した引換証をパスに交換しなくてはならない。その後、新幹線などの指定席を予約する場合には、再び別の列に並び、手続きする必要がある」(同COO)。大きな荷物を抱えた旅行者にとって、あまり「おもてなし」は感じられないのが現状だ。
訪日旅行の課題と言われて久しいのが、東京や京都のみならず、日本各地へとインバウンド需要をいかに波及させるかだ。「例えば宮島など、地方の美しい景勝地への需要を開拓するのに、鉄道は不可欠な旅の構成要素。日本全国の鉄道のスケジュールや運賃、利用規約などが、外国人旅行者がアクセスしやすいところで、わかりやすく提示されていれば、状況は格段に変わるはずだ。OTAやグーグルなどの検索サイト、旅行会社の店舗など、情報の収集や予約・購買が可能なチャネルを、もっと多様化、デジタル化する必要がある」と提言する。
取材・記事 谷山明子