AI・チャットボットの活用について、「音声認識/制御デバイス(スマートスピーカー)の登場で変わる。旅行業界の取り組みも始まっていく」と語ったのは、日本アイ・ビー・エム(IBM)Watson カスタマー・エンゲージメント事業部長の樋口正也氏。今年6月のオンライン旅行業界の国際会議「WIT Japan 2017」のセッションでのことだ。
それから半年の間に、日本で続々とAI対応のスマートスピーカーが登場。なかでも米国でシェア7割超と言われる「アマゾンエコー」の日本発売にあわせ、JTBやじゃらん、ANAなど旅行業界の企業が続々と同デバイスを活用した新サービスを発表した。樋口氏の予言の通り、旅行業界でのAI・チャットボット利用の狼煙が上がり、一気に加速する勢いを感じさせる。
旅行業界がどのようにテクノロジーと向き合い、AIやチャットボットを活用していけるのか?樋口氏に聞いてきた。
テクノロジー活用の現状は?
旅行業界はOTAをはじめ、インターネットやテクノロジーを活用した新たなサービスの参入が続く一方で、従来型のビジネスを続けている事業者も多い。
樋口氏は、インターネットの浸透で代理店ビジネスのチャネルが変わるなか、「テクノロジーを活用したトレンドと旧態依然のビジネスが混在するのは、どこの業界にもある」と、旅行業界だけが特殊ではなく、多くの業界で変化への対応が始まっていることを指摘する。
例えば、金融業界。地方銀行(地銀)では現在も、店舗での住宅ローンなどで対面ビジネスが重要だが、ネット銀行の勢いが進んでいる。これは、旅行業界のリアルAGTとOTAの構図のようだという。樋口氏は「他業種での類似性を意識しながら、旅行業界にどう役立てられるかを考えている」という。
では、旅行業界で従来型のビジネスが続いている理由は何か。もちろん地銀と同様に、対面での説明を求める顧客への対応や、専門性や自社サービスを活かす方法としているのが大前提にあるだろう。しかし、中小事業者の多いこの業界では、予算やテクノロジーに関する知識に自信がないため、検討前から尻込みしたり、諦めているケースも少なくない。
これに対して樋口氏は、「時代の先に行くことよりも、こうした動きをキャッチアップできる態勢をとることが大切。気が付かなければ情報ギャップで遅れていく」とアドバイス。樋口氏によると、以前は同社をはじめ、IT企業内で情報統制が行なわれ、内部と外部で情報のギャップがあった。それが、5~10年前には傾向が変わり、「今はないといっていい」と断言。誰もが同条件で最新情報に触れられる状況にあるという。
その理由は、「顧客とのタッチポイントが次の変革のヒントになるから」と樋口氏。例えば、前述のスマートスピーカーは、JTBやANAなどとの対応サービスで、日常空間で音声による自然言語で旅行検索ができるようになる。つまり、「一社の開発した技術だけではなく、ミックスしたイノベーションが出るようになっている」のが、今の技術発展のトレンド。複合的な化学反応を生むためにも情報が広く開かれている。
まずは小さく対応
では、これまで二の足を踏んでいた旅行事業者は、どのように対応していくことができるだろうか。旅行業界の事業者は規模も業態もさまざまで、課題もそれぞれ異なる。これに対して樋口氏が提案するのが、小さな部分の対応から始めること。例えば、日本航空(JAL)の取り組み。JALは巨大企業だが、IBMのAIを活用した自動回答サービス「JAL バーチャルアシスタントサービス『マカナちゃん』」は、JALのビジネスのなかで国際線のハワイ路線、しかも対象を乳児連れ旅行に限定して効果検証を行なった。
同取り組みではユースケースを絞っても、Q&Aには7000パターンくらいの対話学習をさせる必要があった。こうした部分的な作業量が分かれば、次の対応を考えやすくなる。ビジネスのすべてをAI化するのは難しいが、できる部分で対応していくことが大切だという。
いま、AIやチャットボットなどテクノロジーへの対応に頭を悩ませているのは、旅行業界だけではない。「類似の例でいえばアパレルや不動産、人材紹介など、アナログな業種ほどデジタル活用が急速に進んでいる」と樋口氏。そのなかで旅行は、取り組みやすい分野の一つなのだという。
その理由は、旅行はAIの活用に欠かせないデータを蓄積しやすいから。例えばアパレルの場合は毎年、季節ごとに商品の入れ替わりがある。しかし旅行は、観光地やホテルなどの観光施設は、閉鎖がなければ情報が全く使えないものは少ない。過去のデータを応用可能というわけだ。
とはいうものの、実は旅行・観光サービスでも過去の評価を保管していないケースもある。また、旅行・観光のもてなしのノウハウはデータ化されているものでもない。この場合はどうすればよいのか。AI・チャットボットの活用で、どのような成果があるのか。
カリスマ店員のノウハウ込みのデータを作る
樋口氏が事例として紹介したのは、データ活用で不利と言われたアパレル業者の取り組み。若年女性向けのブランド「オリーブ・デ・オリーブ」とIBMのパートナーの空色社の取り組みで、オンライン販売でLINEを活用したAIと人によるハイブリッドのチャットサービスを開始した。
狙いは、オンライン販売の販売率を店舗販売に近づけること。Eコマースの物販のコンバージョン率は1%と言われるが、これに対し、カリスマ定員などのいるアパレル店舗の販売率は20%と大きな差がある。
オリーブ・デ・オリーブは2016年3月にパートナーとなり、チャットサービスは同年8月9日に開始した。まずはコールセンターに10人のスタッフを用意し、1人が10人のオンライン上のお客様を同時に対応。客が希望する商品の色や形、素材、値段、サイズなどを、テキストで巧みに聞いていく。「どの色がいいですか?」「最近はこの素材が人気ですが、試してみますか?」など、カリスマ定員の接客術をパターン化する作業だ。
これに対してお客様は「今日は黒のボトムスを探しに来た」など、シンプルな反応もあれば、「派手なのは嫌だけれど地味すぎるのもちょっと。春っぽい雰囲気のものがいい」など、複雑な要望を言う人もいる。人海戦術で、こうしたやりとりを500万件蓄積し、体系化して30万パターンに分類。そのやりとりをAIに覚えさせ、AIチャットボットによる対応に取り入れた。
簡単なやりとりやFAQ程度はチャットボットが対応し、難しくなったら人が対応する。ハイブリッド具合は、チャットボットが6割、人が4割程度だという。これにより、人とAIのハイブリット接客によるコンバージョン率が24%を達成。店舗の人の接客を超えた。「これはすごい数字。チャットでEコマースにおもてなし感が生まれた。AIがあるので、リピーターには前回の接客も活かされる」と、AIチャットボットを活用するメリットを強調する。ちなみに、オリーブ・デ・オリーブの同サービスは今月末で終了となるが、同様のスキームは阪急百貨店などで利用されているという。
IBMは2017年中に、IBMのAI・ワトソンが世界中で10億人と何らかの形で関与するようになると展望した。この先、AIはスマートスピーカーをきっかけに人々の日常にどんどん浸透し、さらなる化学反応を生むだろう。
最新テクノロジーをサービスに活用するかどうかは、各事業者の方針次第。しかし、生活に入り込んだAIによって、消費者側の旅行に関する接点や感覚が変わっていくことは間違いない。
聞き手:山岡薫(トラベルボイス編集長)、山田紀子
記事:山田紀子