日本旅行業協会(JATA)の資料で振り返る、海外渡航自由化50年の歴史。今回は、世界に日本の旅行業界のプレゼンスを示してきたJATA国際会議・商談会について。今年、JATAの「JATA旅博」と、日本観光振興協会の「旅フェア日本」が統合し、「世界最大級の旅の祭典」として新たな幕を開ける「ツーリズムEXPOジャパン」の原点は、1977年に開催された「JATAコングレス」だった。(画像はJALサイトより)
▼1回目の参加者は海外56か国・地域の約1000人
日本の旅行業界が世界のツーリズム産業界と対峙した、初の本格的な国際会議「第1回日本国際観光会議」(JATAコングレス)が開催されたのは、1977年11月のこと。
当時の日本は、世界から見れば極東の旅行者送り出し国の一つにすぎず、日本の旅行業界の存在感は希薄なものだった。当時の兼松學JATA会長は太平洋観光協会(PATA・当時)や旅行業者協会世界連盟(UFTAA)の役員としての活動等を通じ、日本の旅行業界の国際的な発言旅行の向上の必要性を痛感。世界のツーリズム産業に向けて日本の意見を発信する場を設ける取り組みを始めた。
1976年11月に準備機関として運営委員会と10の小委員会を編成し、JATA事務局内に国際観光会議事務局を設置。業界関係機関の協力を得ながら実現に至った。
当日は東京プリンスホテルを会場に、海外56か国・地域から約1000人が参集。NHK放送合唱団の国家演奏で幕を開け、JAL(JL)の朝田静夫社長や米国旅行業協会(ASTA)のジェームス・ミラー会長、PATAのマーヴィン・ブレイク前会長らが、世界および太平洋地域における観光事業の展望を講演した。また、JATAコングレスと並行して「TRAVEL TRADE SHOW」も開催された。
▼日本の海外旅行市場をアピールする唯一の貴重な機会
JATAコングレスは、その後2年に1度の頻度で開催。1990年にドイツ観光局の日本代表として東京に赴任し、24年間にわたり日本で勤務したペーター・ブルーメンシュテンゲル前日本代表は、「日本の海外旅行市場を世界に向けてデモンストレーションする唯一の貴重な機会」とし、「日本に世界中の人々が集まって国際的な会議を開き、様々なテーマで話し合うことには、特別な意味があると感じたのを覚えています」と振り返る。
1991年の第8回日本国際観光会議・トラベルトレードショーでは、参加国・地域数は85に拡大。1990年に日本の海外旅行者数が1000万人を突破し、バブル景気の日本は、世界から注目を集めるマーケットになっていた。アジア地域ナンバーワンの送り出し国で、1989年に渡航自由化した韓国はもちろん、中国も国際旅行市場でプレゼンスを示すまでに至ってなかった。
ブルーメンシュテンゲル氏は、「日本市場に対する期待は熱く、その成長もエンドレスであるかのように見えました。日本からの海外旅行者数が2000万人に達するのは時間の問題と思っていましたが、あれから20年以上たった今も、その数字はクリアされていません」とし、「日本のアウトバウンド市場の再活性化に向けて、第1回を迎えるツーリズムEXPOジャパンが果たすべき役割は極めて大きいと思います」と語る。
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▼JATAの設立
国際旅行業者協会(JATA)の設立は1959年6月。旅行者に対するサービスの改善や接遇の向上、会員相互の連絡協調を図り、旅行業と観光業の発展を目指す、日本で初の旅行業界による業界団体であった。1963年11月には社団法人の認可を受け、1972年には国際旅行業協会に改称して、運輸大臣指定の旅行業協会となった。1975年に現在の日本旅行業協会に改称した。
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(トラベルボイス編集部)