2024年11月に仙台市で開催された観光レジリエンスサミット。会期中は複数のシンポジウムも開催され、産官学の有識者が活発な意見交換をおこなった。その中から、東日本大震災の経験を経て、観光に特化した危機管理マニュアルを作成した仙台市の取り組みと、2024年元旦に能登半島地震に見舞われた和倉温泉加賀屋の現場対応の事例を紹介する。
観光危機発生時に備えるために
仙台観光国際協会の理事長を務める結城由夫氏は、消防士としての経験が長く、1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災の救助現場を指揮した人物でもある。「観光危機発生時への備え-観光客・旅行客の安全と安心を確保するために必要なこと-」と題したパネルセッションに登壇し、仙台市が2024年10月に発表した「仙台市観光危機管理マニュアル」の概要を紹介した。
同マニュアルは、2022年に観光庁から観光危機管理計画等作成の手引きが示されたことを受けて策定されたもの。具体的には、市内の観光エリアと想定される災害を洗い出し、災害が発生した際の旅行者、観光事業者、従業員の安全安心を確保するための危機管理について、地域防災計画等を基にした対応策が整理されている。また、被災後の観光事業者の早期復旧と事業継続の支援について方針が示されているのも特徴だ。
仙台市観光危機管理マニュアルは、1「減災対策」、2「危機対応の準備」、3「危機への対応」、4「危機からの復興」の4つのフェーズがあり、このうち2では、仙台市、地域団体、観光団体、仙台観光国際協会の役割分担と連携の整理、外国語対応用ツールの整備について言及し、3では情報収集と発信フロー、外国人旅行者や帰宅困難者対策について示している。「情報の流れとしては、市の災害対策本部がさまざまな情報を一元的に収集整理してウェブやSNSのXなどで発信するが、当協会でも担当部局を通じて観光地で必要な情報を集め、多言語支援センターを通じて発信することになっている。また、外国人旅行者が自ら必要な情報を取りに行けるよう、災害時に活用できる多言語の情報サイトとアプリをまとめたチラシも作成した」(結城氏)。
マニュアルベースに訓練重ね、実効性高める
仙台市では東日本大震災の発生直後にJR仙台駅、地下鉄のターミナル駅の周辺に帰宅困難者があふれた苦い経験を踏まえ、2013年に民間事業者などの協力を得て仙台駅周辺の帰宅困難者対策協議会が設置されている。「JR仙台駅と駅周辺の宿泊施設を中心に一時滞在場所を設け、そこに一旦集まって安全を確保するというスキームを作成し、毎年継続的に訓練を重ねてきた。今回、観光に特化したマニュアルが完成したことにより、特に外国人旅行者にフォーカスした訓練も始まっている」(結城氏)。
具体的には、まず身の安全を確保する訓練をしたのち、緊急避難場所に一旦集まり、徒歩で帰宅できる人と帰宅困難者にふり分け、帰宅困難者に対しては、仙台駅周辺の宿泊施設などに最大3日間を目安に滞在させるステムが構築されている。さらに、こうした訓練の中で多言語の指差しシートを利用した情報共有や、情報集約、発信の訓練などもおこなわれている。
結城氏は「仙台市観光危機管理マニュアルを浸透させ、観光事業者に個別の危機管理計画を作ってもらえるような雰囲気の醸成、できるだけ訓練を重ね、実効性を高めていく必要がある。当協会としては、観光事業者の意見や行政の方針を吸い上げ、誰もが同じ方向を向いて災害対応できるよう取り組んでいきたい」と力を込めた。
社員総出で宿泊客の命守った
和倉温泉加賀屋の支配人、道下範人氏は、2024年元旦に起きた能登半島地震の現場対応を話した。道下氏は、「16時6分に震度5強の地震が発生した。お客さまがパニックになるのを防ぐため、すぐに全館放送をおこない、その場で待機し、安全が確認できるまでエレベーターの利用を控えていただくよう案内した。この4分後に震度7の本震が発生したが、先に全館放送で注意を促したことで、400人のお客様が、館内22基のエレベーターに誰ひとり取り残されずに済んだ」と振り返る。
本震により高層階のガラスが割れて落下してくるなど、大変危険な状況だったため、公共スペースにいた宿泊客に対しては「手で頭を覆ってください。壁から離れてください」と呼びかけつつ、全館放送で宿泊客に対する避難誘導を行った。同時に施設のガスの元栓、ボイラーの休止、厨房の火元の確認を行い、二次災害である火災防止に努めた。各責任者がすべて館別のフロア、大浴場や施設など全ての箇所の安否確認も実施した。
その日の気温は日中で7℃前後。避難してきた宿泊客は大半が浴衣姿で、寒そうにしていたため、暖を確保するために、スタッフジャンパーや客室の備品である羽織、ブランケット、バスタオル、さらに社員の私物であるコートやジャンパー類なども運び出して配布した。その後、宿泊客を地域の避難所である小学校へ誘導。夜になり気温がさらに下がったため、道下氏は建物の割れた窓を補強するための段ボールやガムテープ、布団を宿から運び入れること、またおにぎりを作って持ってくるよう宿のスタッフに指示している。
「なるべく多くの人にいきわたるよう、小さなおにぎりを400個程度作って配ったが、小学校には各旅館の宿泊客のほか地元住民も合わせて2000人以上いたため、全員に食べ物がいきわたらなかった。売店のスタッフに連絡し、売り場にある腹持ちのするお饅頭やお菓子を持ってこさせて、配布した。赤ちゃん連れのお母さんのため、粉ミルクや電気ポットの調達もおこなった」(道下氏)。
安心安全の提供はおもてなしの原点
その晩、道下氏が考えたのは「お客さまが当館に対して一番要望されることは何か」だったという。
「自分がお客様の立場なら、おそらくこの土地から一刻も早く離れたいだろう、またご家族に電話したいだろうと考えた。そこから、貴重品を含めた荷物の受け取り方法、後日精算の方法、着替え場所の確保、携帯電話の充電器の用意など、大きなことから小さなことまで項目を並べ、優先順位とそれぞれの対象をまとめて、即席のマニュアルを作って対応した」。
その後、車を持たない宿泊客を金沢まで送り届けるため、加賀屋が有する11台の車で金沢駅まで送迎することを決断。道路状況を把握するため、まずは社員を2ルートに分けて走らせ、ルートを確認した。翌日、通常の3倍の片道3時間半をかけて、宿泊客をJR金沢駅まで無事に送り届けている。
道下氏は「昨今はAI、DXとよく言うが、このような対応ができたのは、困っている人を前に、人としてどう行動するかを考え、動いてくれた社員のおかげにほかならない。安心安全の提供はおもてなしの原点であり、お客様第一主義の精神が防災の現場でも活かされた」と話す。
同時に、400人もの宿泊客をスムーズに避難誘導できたのは、被災する約1ヵ月前に火災を想定した、実戦さながらの防災訓練を実施していたことが功を奏した。「事前に火災場所を告知しない訓練だったため、予期せぬ事態に対してどのように行動すればいいか考えてもらう良い訓練になった。今回の経験を通じて感じたのは、備えあっても憂いあり、ということだ。いつ起こるかわからない災害に対して地域全体で防災に取り組んでいく体制づくりが重要ということをお伝えしたい」とまとめた。
パネルセッション全体を通じて、観光レジリエンスには日頃の防災訓練、危機管理の体制作りなどが重要であることを大前提とし、現場でより細やかな対応を生むのは、観光業界の人々が持つホスピタリティであるとの意見が挙がった。
モデレーターを務めた観光レジリエンス研究所代表の高松正人氏は、能登半島地震発生後の加賀屋の対応を称賛し、「非常時の危機管理が進み、従業員もその意識を強く持っている現場では、すでに的確な対応がなされている。行政、団体、事業者それぞれの連携が進み、こうした動きがさらに広がっていけば、観光分野での非常時の対応に対する信頼性が高まり、それが結果としてレジリエンスに繋がっていくのではないか」とまとめた。