世界の先住民観光は、その土地の先住民の経済的自立を促すだけでなく、社会的地位の向上にもつながっている。訪問者にとっては、綿々と続くその知恵や世界観に触れることで、示唆に富む旅行体験となる。アイヌ文化も北海道独自の観光コンテンツとして、北海道観光の裾野を新たに広げる可能性を秘めている。
2023年9月に開催されたアドベンチャートラベル・ワールドサミット2023(ATWS2023)北海道では、世界の富裕層を顧客にもつ旅行関係者が日本のアイヌ文化に大きな関心を寄せた。過去の日本におけるアイヌ観光施設は、「物珍しさ」から色眼鏡で見られることも多かったというが、ダイバシティやインクルージョンがうたわれる今、その価値はリスペクトの対象となりつつある。
日本におけるアイヌ文化は、北海道観光の中でどのような価値となり得るのか。白老町の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」や旭川市の「川村カ子トアイヌ記念館」を訪れて、探ってみた。
民族共生としてのウポポイの役割
ウポポイは、アイヌ文化施設「ポロトコタン」があった場所に、アイヌの歴史・文化を学び伝える国の施設として2020年7月に開業した。施設内の「国立アイヌ民族博物館」は、旧「アイヌ民族博物館」を引き継いだ。
アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部の村木美幸本部長は、ウポポイの役割について、アイヌの伝統文化の伝承と共有とともに、「正しい情報を発信して、アイヌという民族がいるということをまず知ってもらうこと」と話す。
国は、国連が2007年に採択した「先住民族の権利に関する宣言」を受けて、2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策に関する法律」(アイヌ施策推進法)を成立させ、アイヌの人びとを北海道をはじめ日本列島北部周辺の先住民族と位置付け、アイヌの人びとの誇りが尊重される社会を実現するための施策を推進することを決めた。アイヌ文化の振興を目的とした従前の「アイヌ文化振興法」から踏み込んだ形だ。
しかし、アイヌ文化に対する理解促進は道半ばだ。村木氏は、以前と比べたら減ったものの、まだアイヌに対する差別意識は根強いという。また、同化政策によって失われた言語の復興は一筋縄ではいかず、アイヌの人たちがアイヌというアイデンティを認識する機会も少なくなった。その意味で、ウポポイは、情報発信の場だけではなく、アイヌの人たちが自分たちのルーツを知る場所でもあるという。
村木氏は、「アイヌ文化が、日本の文化の一つとして捉えられていないところがある。どちらが優れているとか、劣っているかの問題ではなく、お互いを思う気持ちが醸成されていく方向に持っていきたい。文化による差別のない社会を作るというのが一つの使命」と話す。ウポポイのアイヌ語名称は「ウアイヌコㇿ コタン」。ウアイヌコㇿとは、アイヌ語で「尊敬し合う」という意味だ。アイヌの人たちと交わり、アイヌ文化を尊重する「民族共生」の象徴的な空間として位置づけられている。
変わるアイヌ観光、先を見据えるウポポイや文化施設
一方で、ウポポイは高い集客力を持つ観光施設でもある。大型バスによる団体旅行を多く受け入れているほか、JR白老駅から徒歩10分という立地の良さから、個人客も多い。また、先住民族の「国立博物館」は世界でも珍しいことから、海外での注目も高いという。2023年9月29日には、開業3年目で累計入場者数100万人を達成した。
ウポポイでは、博物館の展示だけでなく、伝統芸能の上演のほか、工芸、伝統楽器ムックリの演奏、アイヌ伝統料理などさまざまな体験プログラムも提供している。楽しみながら学べるように、スタッフ自身もアイヌ文化のファシリテーターとしての役割を重視しているという。
アイヌ文化への入口はさまざまだ。例えば、人気アニメ『ゴールデンカムイ』で主人公のひとりであるアイヌの少女「アシㇼパ」が語る知恵や技、言葉の意味、世界観もアイヌへの入口になりえる。様々な入口があることを踏まえ、村木氏は「ウポポイでも自分たちの文化をどのように見せていくべきか考えながら運営している」と話す。
村木氏は、かつてのアイヌ文化観光は、異なもの奇なものを見る、ある意味「見世物」的なイメージがあったため、複雑な思いを抱いていたようだ。「観光自体が、アイヌの差別を助長すると言われたこともあった」と明かす。観光客側には、「こうあって欲しい」という先入観でアイヌ文化を見る傾向があったため、理不尽な質問や態度を取られたこともあったという。
しかし、 「観光のスタイルも昔とは変わってきている」と村木氏。ただの物見遊山ではなく、知的好奇心を持って来園する人も増えているため、今では観光がアイヌの文化の継承や復興を進めていく手段になり得るとの考えだ。「家族旅行でも、教育旅行でも、ウポポイに訪れてもらい、親子の間で、あるいは友人同士で、アイヌ文化を話し合える機会を提供していきたい」と話す。
ウポポイ運営本部副部長兼文化振興部長の野本正博氏は、9月に北海道大学で開催されたカナダ先住民との国際シンポジウム「先住民観光の挑戦」に登壇し、「主体的に先住民観光のブランド化を進めていく必要があるだろう。ポジティブに文化を発信していくためには、アイヌによる主導が必要ではないか」と発言した。
旭川市「川村カ子トアイヌ記念館」で副館長を務める川村久恵氏は「この記念館は文化施設であると同時に観光施設。人に来てもらわなければ、話にならいないところがある」と話し、地元DMOとの連携の重要性を指摘する。
アイヌの組織としては「北海道アイヌ協会」があるが、その目的は「アイヌ民族の尊厳の確立、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承」。カナダ先住民観光協会(ITAC)のような、観光振興を通じて持続可能なアイヌ・コミュニティの形成を進める包括的な組織はない。
ただ、道内6地域のアイヌ民族関係団体などが、ウポポイを中心に各地のアイヌ文化や観光資源をつなぐ広域の周遊ルート「ユーカラ街道」を整備する計画を進めてきた。コロナ禍で具体的な商品化は止まっているが、川村氏は「一つの連携の形」として期待をかける。
海外との交流も積極的に
ウポポイ自体もオープン以来、海外の先住民との交流を積極的に進めている。今年5月には、米国の先住民族ナバホの若手文化継承者が訪れ、疫病からの癒しを発端とする踊り「ジングルドレス・ダンス」を披露するなど、アイヌとの交流を深めた。また、9月にはカナダ先住民族観光協会の会員としてカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州のハイダ族のアーティストたちが視察に訪れた。このほかにも非公式な訪問を数々受け入れてきたという。
「私たちも、アイヌ施策を進めていくなかで、海外の成功事例を学びたい」と村木氏。受け入れだけでなく、研修の一環として海外の先住民組織にウポポイ職員を派遣するなど相互交流を続けていきたいと意欲を示す。
アドベンチャーツーリズムの一つとして、アイヌ文化は日本で想像するよりも海外での関心が高いようだ。川村カ子トアイヌ記念館には、コロナ前の夏のシーズン、「少人数ながら、欧米を中心にインバウンドが来場しない日はなかった」(川村氏)という。
ウポポイでも水際対策緩和後インバウンド来場者は増加しているようだ。村木氏は「冬に北海道を訪れるアジアの人たちは多い。今後は、その人たちもウポポイに立ち寄ってもらえれば」と話す。
「ウアイヌコㇿ」、アイヌへの敬意を持った観光が北海道でも根付き、アイヌ文化の持続可能な保護と継承につながるのか。そのためには、受け入れ側の体制とともに、旅行者の意識と責任も問われそうだ。
聞き手:トラベルボイス編集長 山岡薫
記事・取材:トラベルジャーナリスト 山田友樹